宣教「最初の者、最後の者」秋場治憲さん(昭島教会会員) 讃美歌21 289番 みどりもふかき 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3605号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「最初の者、最後の者」 マタイによる福音書20章1~16節 昭島教会 秋葉治憲兄 「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」 前回東からきた博士たちがはるばる星を頼りにやってきて、御子イエスの誕生を祝ったばかかりですが、今日のテキストは主イエスがガリラヤでの活動を終え、いよいよエルサレムへ向かう途上で語られたお話の一つです。19章の1節にはそのことを説明している一句があります。「イエスはこれらの言葉を語り終えると、ガリラヤを去り、ヨルダン川のむこう側のユダヤ地方に行かれた。」ユダヤ地方というのはエルサレムに向かったということです。ガリラヤを出てエリコ を経由してエルサレムへむかうというのです 。御子(メシア)の誕生の知らせを聞いても誰一人として、博士たちと行動を共にしたものがいなかった町、十字架の待つエルサレムへと向かいます。言葉をかえれば最後の道行であり、その途上で語られたことは主イエスの遺言とも言えるものです。 その途上で語られたお話の一つ「ぶどう園の労働者」のたとえを詳しく読んでみたいと思います。このお話も誰もが知っているお話であり、私たちにとても馴染みのある分かりやすいお話です。特別な解説がなくてもいいとさえ思えるお話です。 1.「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人 が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2.主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3.また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4.『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう。』と言った。5.それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと、三時ごろにまた出ていき、同じようにした。6.五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、7.彼らは、『だ