日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ 奏楽:長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3626号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「十人の乙女たちの信仰」 マタイによる福音書25章1~13節 秋場治憲 「賢い乙女たちは、それぞれともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」 私たちは教会暦に従うなら、昨年12月に降誕節を祝い、そして3月に受難節、そして復活節(イースター)、昇天、聖霊降臨節(ペンテコステ)を経て、今日は主イエスが再び来たりたもう日(再臨)を待ち望む今日であり、聖霊降臨節第3主日の礼拝をしています。そしてこの聖霊降臨節は、再び待降節(クリスマス)へと向かいます。 神の右に挙げられたキリストが、再び来たり給うその日を待ち望むということは、それはこの歴史が終わりを迎える日が到来するということです。 使徒信条 [1] に従うなら、 「我はその独り子我らの主イエス・キリストを信ず、主は聖霊によりて宿り、乙女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちより甦り、天にのぼり、 (ここまでは完了形。すでに終わったこと。) 全能の父なる神の右に座したまえり (ここは現在形。今現在のこと。) かしこより来りて、生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん。 」(ここは未来形) 我らの主イエス・キリストは十字架の死において私たちの罪を贖い、そして甦り、死が私たちの行きつく最終的な現実ではないことを示し、そして今現在、天の父なる神の右に座しておられ、日夜我らの為に執り成してくださっている [2] 。私たち人間の存在もキリストにおいて、神のそばにまで引き上げられると告白しています [3] 。 「 かしこより来りて、生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん。 」ということは、その時には悪魔や闇や、虚無が支配する世界に引きずり降ろされるのではなく、私たちもキリスト共に昇天を共にし、神のそばに引き上げられる、と告白するのです。そしてキリストの昇天は、このことの予表であり、道しるべだ