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6月, 2022の投稿を表示しています

十人のおとめたちの信仰(2022年6月26日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 358番 小羊をばほめたたえよ 奏楽:長井志保乃さん 字幕:富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3626号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「十人の乙女たちの信仰」 マタイによる福音書25章1~13節 秋場治憲 「賢い乙女たちは、それぞれともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた」  私たちは教会暦に従うなら、昨年12月に降誕節を祝い、そして3月に受難節、そして復活節(イースター)、昇天、聖霊降臨節(ペンテコステ)を経て、今日は主イエスが再び来たりたもう日(再臨)を待ち望む今日であり、聖霊降臨節第3主日の礼拝をしています。そしてこの聖霊降臨節は、再び待降節(クリスマス)へと向かいます。  神の右に挙げられたキリストが、再び来たり給うその日を待ち望むということは、それはこの歴史が終わりを迎える日が到来するということです。 使徒信条 [1] に従うなら、 「我はその独り子我らの主イエス・キリストを信ず、主は聖霊によりて宿り、乙女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちより甦り、天にのぼり、 (ここまでは完了形。すでに終わったこと。) 全能の父なる神の右に座したまえり (ここは現在形。今現在のこと。)  かしこより来りて、生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん。 」(ここは未来形)   我らの主イエス・キリストは十字架の死において私たちの罪を贖い、そして甦り、死が私たちの行きつく最終的な現実ではないことを示し、そして今現在、天の父なる神の右に座しておられ、日夜我らの為に執り成してくださっている [2] 。私たち人間の存在もキリストにおいて、神のそばにまで引き上げられると告白しています [3] 。 「 かしこより来りて、生ける者と、死ねる者とを裁きたまわん。 」ということは、その時には悪魔や闇や、虚無が支配する世界に引きずり降ろされるのではなく、私たちもキリスト共に昇天を共にし、神のそばに引き上げられる、と告白するのです。そしてキリストの昇天は、このことの予表であり、道しるべだ

復活を宣べ伝える(2022年6月19日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 聖霊よ、降りて 343番(1、4節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3625号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「復活を宣べ伝える」 使徒言行録4章1~22節 関口 康 「しかし、ペトロとヨハネは答えた。『神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。』」 今日の聖書の箇所に描かれているのは、最古のキリスト教会の宣教の様子です。 登場する使徒は、ペトロとヨハネです。「二人が語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった」(4節)と記されています。大変な影響力をもって宣教が拡大しました。 しかし、その前に書かれていることが気になります。祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々がこの2人の使徒を逮捕して翌日まで牢に入れたというのです。それは「イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えている」(2節)ことが犯罪とみなされたという意味です。 死んだ人が生き返るはずがないという普通の常識に反することを言っているとみなされた面もあるでしょう。しかし、それだけでなく、使徒たちの宣教にイエスを十字架にかけた人々に抗議する意図が含まれていることを、抗議されている本人たちが最も自覚していたからでしょう。 なぜそのように言えるのか。ペトロとヨハネが牢に監禁された翌日の出来事として、「次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった」(5節)と記されている、これはユダヤの最高法院(サンヘドリン)のことですが、そのような場で勇気をもってペトロが語った言葉の中に「あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリスト」(10節)と言われていることが証拠になります。 ペトロが明確に言っているのは、最高法院のあなたがたがイエスを十字架につけて殺したのだ、つまり「殺害した」のだ、ということです。「あれは死刑ではなく殺人だった」ということです。 死刑が正当な審判の方法かどうかについて、今日においては世界的な議論があり、多くの国が死刑廃止の方向に進んでいます。私個人の考えは申

秋場治憲先生の補教師准允式が行われました

日本キリスト教団補教師になられた秋場治憲先生 学生キリスト教友愛会(東京都杉並区) 2022年4月より昭島教会伝道師に就任した秋場治憲(あきばはるのり)先生の補教師准允(じゅんいん)式が、本日6月13日(月)午前11時より、西東京教区願念望議長司式により、教区副議長・書記と昭島教会主任牧師立ち会いのもと、教区事務所に隣接する学生キリスト教友愛会(杉並区)にて行われました。

子どもを愛する(2022年6月12日 三位一体主日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌第二編 ちいさなかごに 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3624号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「子どもを愛する」 マルコによる福音書10章13~16節 関口 康 「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」 今日の週報に「三位一体主日」とも「子どもの日(花の日)」とも書きました。すべてキリスト教会内部で祝われてきた記念日ですので、特に日本国内で一般的に知られるものではありません。 しかし「子どもの日(花の日)」を毎年第2日曜に祝うことに関しては、歴史的起源が19世紀後半のアメリカのプロテスタント(特にメソジストの)教会だったことで、ほぼ同じ時期にアメリカの宣教師たちが日本に来てプロテスタントの教会をたて、ミッションスクールをつくった関係で、日本国内のミッションスクールでは早い時期から「子どもの日(花の日)礼拝」を行ってきた経緯もあります。 何をする日かといえば、要するに「子ども中心の礼拝」を行い、礼拝堂にきれいな花を飾り、礼拝後にその花を子どもたち自身の手で近くの病院や警察署や高齢者施設などに配ることでした。そのことを日本の教会でも、かなり前から最近まで行ってきましたし、今でも行っている教会があるはずです。 昭島教会がこれまでどのようにして来られたかが分からないのを申し訳なく思います。私が教会で働くようになったのは32年前の1990年からですが、当時は全国のどこの教会もかなり盛んに子どもの日(花の日)礼拝を行っていました。その後も毎年、病院や警察署や老人ホームに花を届けに行きました。最初に赴任した高知県の教会でも、その後の転任先の福岡県、山梨県、千葉県の教会でも。 しかし、いつの間にか途絶えてしまいました。なによりの理由は教会に子どもがいなくなったことです。病院も警察署もなんとなく敷居が高くなってきたことも衰退の原因だと思います。そして今はコロナです。お花を届けるどころか、病院や施設に訪問や面会にも行けない状態です。 それでは「子どもの日」のほうはどうか。はっきり言い

聖霊降臨の喜び(2022年6月5日 ペンテコステ)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌500 みたまなるきよきかみ(1、3節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3623号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「聖霊降臨の喜び」 使徒言行録2章1~11節 関口 康 「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。」 今日はペンテコステ礼拝です。クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大祝祭日です。今日はおめでたい日です。聖霊の働きによって初代教会が誕生したことをお祝いする日です。 今年は11月6日に昭島教会の創立70周年記念礼拝を行います。その日もおめでたい日です。聖霊の働きによって昭島教会が誕生したことをお祝いする日です。 いま2つ申し上げました。大げさに言ったつもりはないし、矛盾していません。「教会の誕生は聖霊の働きによる」というのは、わたしたち教会の自己理解です。それは時代も状況も超えます。どの教会も例外なく聖霊の働きによって誕生しました。 わたしたちが所属している日本キリスト教団には前史があり、いくつかのルーツがあります。そのひとつである日本で初めてのプロテスタント教団は「日本基督公会」でした。1872年3月に創立しました。今年で150周年です。 13年前の2009年の「日本プロテスタント宣教150周年」は宣教師の初来日から数えられていましたが、琉球伝道開始はもっと前であることは知っておくべきです。しかし、いま申し上げているのは別の話です。宣教開始ではなく教団設立の話です。 150年前の1872年に「日本基督公会」が誕生したときの様子が、1929年に出版された山本秀煌(やまもとひでてる)著『日本基督教會史』に記されています。著者は牧師ですが、明治学院の教授でもありました。少し長いですが、引用します。今日の聖書箇所と関係しています。 「折しも明治5年〔1872年〕正月2日横浜において数十名の日本人相集まりて祈祷会を催せり。(中略)これぞ日本人最初の祈祷会にして、また実に日本における最初の教会の出発点なりき。(中略)宣教師ジェームズ・バラ師の指導の下