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10月, 2022の投稿を表示しています

御国を待ち望む(2022年10月30日 永眠者記念礼拝 宗教改革記念礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 旧讃美歌 320番 主よ、みもとに 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 教会創立70周年記念礼拝のポスターPDFはここからダウンロードできます 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3644号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「御国を待ち望む」 ルカによる福音書12章22~34節 関口 康 「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」 今日は「永眠者記念礼拝」にお集まりいただき、ありがとうございます。特に遠方からご出席くださった方々に特別な感謝を申し上げます。 時々お尋ねがあります。「キリスト教には仏教で毎年行われる何回忌などの法事はないのか」というご質問です。私がいつもお答えするのは、「しなければならない」とか「してはいけない」というルールはなく、すべて自由ですということです。「してもいい」し、「しなくてもいい」です。 そういう答え方をしますと曖昧で分かりにくいと思われて、「キリスト教は難しい」という反応が返って来ます。ご質問の意図は理解しています。面倒な理屈ではありません。だいたいその線を守れば大丈夫と安心できる相場ないし基準をお知りになりたいはずです。 しかし、キリスト教の立場で、どうしても譲ることができないことがあります。教会は経済的・社会的に弱い立場にある方々の生活状況に配慮しなくてはなりません。ご家庭にご負担がかかるようなことを「これは教会のルールだから」というような仕方で押し付けることは、してはいけませんし、したくありません。イエス・キリストは弱い立場の人々の側に立ちます。わたしたち教会はイエス・キリストの弟子です。 しかし、ご遺族にとっては何もしないのは寂しいことですし、不安なことでもあるでしょう。だからこそ教会は合同記念会を毎年行います。全世界の教会で行われます。11月1日が「諸聖徒の日」。「万聖節」とも呼ばれます。西暦4世紀以来の伝統です。 前日10月31日が「ハロウィン」です。またハロウィンと同じ日が「宗教改革記念日」です。すべては関係しています。なぜ宗教改革記念日が諸聖徒の日の前日なのか。ひとつは宗教改革の意図が当時のカトリッ

ピリポという人(2022年10月23日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 495番 しずけき祈りの 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 教会創立70周年記念礼拝のポスターPDFはここからダウンロードできます 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3643号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「ピリポという人」 ヨハネによる福音書6章1~15節 秋場治憲 「イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、『私たちに御父をお示しください』というのか。」(ヨハネ14章9節) 今日の宣教テキストは「五千人の給食 [1] 」として、よく知られたお話です。このお話は四つの福音書すべてに掲載されています。四つの福音書それぞれに力点の違いもありますが、今日はヨハネ福音書から学びたいと思います。ピリポを中心にしてみていきたいと思いますので、聖書のあちこちを参照致します。少々面倒くさいと思われるかもしれませんが、相手がピリポですので、ご容赦いただきたいと思います。このピリポという人から、何かを学ぶことが出来ればと思っています。   イエスが病人を癒したことが伝えられ、大勢の人たちがイエスのもとに集まって来た。その数はおよそ五千人。その時主イエスはピリポに 「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」 と言われた。マタイ・マルコ・ルカ福音書では弟子たちに 「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい [2] 」 と言われているのに対して、ヨハネ福音書ではピリポに対して言われたことになっています。しかもそれは 「ピリポを試みるため」 であったと記されています。これは一体どういうことなのか。私は長い間この言葉の意図することが分からなかった。今日はこの 「ピリポを試みるため」 という言葉に注目して、学びたいと思います。新共同訳では「フィリポ」となっていますが、発音しにくいので、今日の宣教では口語訳の「ピリポ」で通したいと思います。 「こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。」 と記されています。「試みるため」とは尋常ではありません。

山上の説教(2022年10月16日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 504 主よみ手もて 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 教会創立70周年記念礼拝のポスターPDFはここからダウンロードできます 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3642号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「山上の説教」 マタイによる福音書5章1~12節 関口 康 「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。」 今日の聖書の箇所はマタイによる福音書5章1節から12節までです。イエスさまが山の上から説教されたという意味で「山上の説教」と呼ばれてきた箇所の最初の部分です。 「山上の説教」は5章から7章まであります。一度にすべてをお話しすることはできません。今日取り上げますのは新共同訳聖書が「幸い」という小見出しを付けている段落だけです。 しかし、この今日取り上げる「幸い」という部分こそが、5章から7章まで続く「山上の説教」全体の焦点です。法律でいえば憲法に当たる、最も基本的なことが語られている部分です。 「何々な人々は幸いである」と9つ出てきますが、最後の11節と12節は10節の「義のために迫害される人々」に含まれると考えることができるので、この箇所が「8つの幸い」や「八福(はちふく)」などと呼ばれることがあります。カトリック教会は「真福八端(しんぷくはったん)」と言うそうです。 また、8つの幸いが無秩序に並んでいるのではなく、3つのグループに分けることができます。第1グループは、3節から6節までの4つの幸いです。第2グループは、7節から10節までの4つの幸いです。そして第3グループは11節と12節ですが、先ほど申し上げたことから言えば第2グループに含めるほうがよいとも考えられますが、11節と12節に出てくるのは「わたし(イエスさま)のために迫害される人々」に限定されていますので、別グループのほうがよいとも考えられます。 第1グループと第2グループの差は、わたしたちの常識的な感覚や判断に逆らっているという意味で、逆説性が強いか弱いかです。 逆説性が強いのは第1グループです。「心の貧しい人々」(3節)、「悲しむ人々」(4節)、「柔和な人々」(5節

ピーター・ポール&マリー「悲惨な戦争」動画編集 富栄徳さん

富栄徳さんが動画を編集してくださいました。ありがとうございます。「5月に続いてピーター・ポール&マリーの演奏を編集しました。悲惨な戦争は繰り返してはならない筈です。世界が平和でありますよう」(富栄さん)。そのとおりです!お祈りします。

主イエスの愛(2022年10月9日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 ああ主のひとみ 197番(1、4節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 教会創立70周年記念礼拝のポスターPDFはここからダウンロードできます 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3641号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「主イエスの愛」 マルコによる福音書14章53~72節 関口 康 「ペトロは『鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。」 今日の聖書の箇所は、マルコによる福音書14章53節から72節までです。この箇所に描かれているのは、わたしたちの救い主イエス・キリストが、直接的なきっかけとしては、12人の弟子のひとりだったイスカリオテのユダの裏切りによって身柄を拘束され、その直後に最高法院に連行され、裁判をお受けになるまでの状況です。 最高法院(サンヘドリン)とは、ローマ帝国の属国だった頃のユダヤの宗教と政治を司る人々の自治組織というべきものでした。メンバーは議長を含めて71人。ただし、会議は23人以上の出席で成立しました。3分の1です。このときは最高法院の「皆」(53節)が集合したとマルコが記していますが、もし仮に3分の2の議員が欠席しても会議は成立しました。 もちろん全員ユダヤ教徒です。ユダヤ教の聖職者の中のサドカイ派の代表者、ファリサイ派の律法学者と長老、信徒、そして聖職者ではない貴族の中から選ばれた人々で構成されました。 イエスさまの裁判が行われた場所は「大祭司の屋敷」でした(53節)。「大祭司」とはユダヤ教の祭司職の最高の地位にある人。当時の大祭司はカイアファでした(マタイ26章57節、ヨハネ18章24節)。カイアファが大祭司だったのは西暦18年から36年までです。 この最高法院の人々がイエスさまに死刑判決を言い渡しました。しかし、そのやり方は拙速、強引、卑怯でした。死刑判決が言い渡される可能性がある裁判の場合は、その前に2回の公聴会を行う義務がありましたが、このときの公聴会は1回で、その直後に有罪判決が下されました。 最高法院の会議はかろうじて2回行われました。しかし調査

最後の晩餐(2022年10月2日 聖日礼拝)

創立70周年記念礼拝(11月6日)のポスターができました 上の画像をクリックするとPDFをダウンロードできます ぜひご活用ください 日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌43番 みかみのたまいし(1、5節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます 週報(第3640号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます 「最後の晩餐」 マルコによる福音書14章10~26節 関口 康 「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』」 今日の礼拝から、完全に元通りではありませんがコロナ流行前の礼拝順序に戻すことを、先月の役員会で決めました。いま申し上げたことは正確ではありません。詳しく言う必要があります。 2019年12月から始まった新型コロナウィルスの世界的感染に対応するために日本政府が緊急事態宣言を発出した2020年4月7日から5月25日まで当教会は各自自宅礼拝に切り替えました。 宣言解除後しばらくは元の形の礼拝を続けましたが、再び日本政府から緊急事態宣言が2021年1月8日から3月21日まで発出されたときに各自自宅礼拝を再開しました。しかし、そのときは感染対策の方法がそれ以前より分かるようになりました。それで、2度目の緊急事態宣言はまだ解除されていませんでしたが、2021年2月28日の日曜日から礼拝堂での礼拝を再開しました。 そして、その日から「短縮礼拝」に切り替えました。およそ1年半前からです。具体的な変更点は、懺悔の祈り、詩編交読、讃栄、説教後の讃美歌を割愛し、聖餐式を取りやめ、説教の長さを3分の2(約20分)にし、冒頭の讃美歌を最初と最後の節だけを歌うことにしました。この形にすれば、礼拝開始から終了まで、ちょうど1時間(60分)にすることができました。 詳しく申し上げる理由は、1年半も続けた「短縮礼拝」をすぐに元通りに戻すと疲れてしまうので、段階を踏む必要があることをご説明したいからです。何ごとにもリハビリ期間が必要です。説教の長さは、しばらく短いままにします。「元に戻さないでほしい」というご意見があれば考