日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 310番 血しおしたたる 礼拝チャイム 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「おそれと信仰のはざまで」 ヨハネ福音書5:1~18 民数記13:25~33 申命記1:1~5 秋場治憲 「そこで我々が見たのは、ネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は、自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたにちがいない。」 今回の宣教は前回の「べトザタの池での癒し」の続きです。前回と合わせての要旨ですので、量的にも少々多くなっています。また旧約聖書の出エジプトの出来事との関連でお話し致しますので、更に多くなります。旧約聖書の部分は、解説よりも聖書本文の方が臨場感があり、より多くまたより深く主とモーセのやりとりから学べるのではないかと思いましたので、聖書本文をそのまま載せました。これは学びのために事細かく説明していますが、実際の説教はもっと簡潔にお話し致ししたいと思っています。 受難節も残すところ2週間となりました。2月22日の灰の水曜日から数えて聖日を除く40日間が四旬節(受難節)であり、4月の7日金曜日がキリストの受難日となり、9日が復活日(イースター)となります。この受難節を皆様どのようにお過ごしでしょうか。世界を見回してみると色々な過ごし方があるようです。ある人は断食をします。ある人は好きな物、コーヒー、お茶、お酒、肉、スイーツなどを控えます。以前にお話ししたことがあったかもしれませんが、この四旬節(受難節)には肉を絶つのでその前にたらふく肉を食べ、飲んで、踊って楽しもうというのでカーニバル [1] が行われる国もあります。私は以前はこういう過ごし方ということには無頓着でした。しかし、最近はこういう断食をしたり、コーヒーやお酒や、肉を絶ったりする過ごし方というのは、それがどんな形であったとしても、とても大切なことだと思うようになりました。それは目に見えない私たちの信仰というものを、目に見える形で具体的にこの歴史(時間)の中に刻んでいくことであり、またそのことによって自分の信仰を確認していくことにもなります。このような具体性が伴わないと、私たちの信