日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 旧讃美歌100番 いけるものすべて(1、2節) 奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん 礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます 週報(第3600号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます 宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます 「救い主を探し求めて」 マタイによる福音書2章1~12節 昭島教会 秋場治憲兄 「来たれ、父に祝福されたる者よ、 世のはじめからあなたがたのために 備えられた王国をつげ」 ( マタイ25章34節) 今日の聖書の箇所は東から来た博士達が星に導かれて、飼い葉おけに寝かされている主イエスの所までたどり着き、ひれ伏して拝し、黄金、乳香、没薬を捧げたというお話です。教会学校のページェントで「遠くの東から ラクダにまたがって 旅する博士 ようやくユダヤの地 みそらに輝いた 星の光の 不思議な導きで うれしい しらせ もつやく にゅうこうと黄金( こがね )の宝物 主イエスにささげ 祝いのしるしです」と子供たちが大きな声で歌います。ページェントが終わってしばらくは、このメロディーが頭から離れません。子供たちの言葉と共に蘇ってきます。とてもメルヘンチックで絵画的で、アラビアンナイトの空飛ぶ絨毯( じゅうたん )が出てきても違和感がないようなお話です。ただこのおとぎ話のような物語もよく読むと、実に深い、味わいのある出来事に満ちていて、私達をしばしこのテキストに釘付けにして離さない力強さがあります。詳しく見ていきたいと思います。 まず私達を驚かせるのは神の子の誕生を祝ったのは、選ばれた民イスラエルの宗教指導者達ではなくエルサレムの神殿の再建に巨費を投じたヘロデ大王でもなく、遠く離れた東の国からやってきた博士達だったということです。新共同訳聖書では「占星術の学者たち」と訳されていますが、当時天体をみることは決して特殊なことではなく、知者、賢者と呼ばれる人たちの共通の知識であったようです。天文学だけではなく、医学、思想なども含めて広く生活全般にわたって豊かな知識を有していたようです。従って必ずしも占星術に限る必要はなく、口語訳の「博士たち」という訳語が妥当性を欠いているとも思えません。むしろ現代においては「占星術」というと何か