スキップしてメイン コンテンツに移動

クリスマスの平和(2021年12月24日 イブ礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

ルカによる福音書2章1~7節

関口 康

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」

クリスマスおめでとうございます。クリスマスイブ音楽礼拝にお集まりいただき、ありがとうございます。

昨年は行うことができませんでした。今年はこんなに大勢の方々がご出席くださり、本当にうれしく思います。

私は今年、昭島教会の牧師をしながら、3つの学校で聖書を教えています。どうもその悪影響が出ているようです。教会の方から「最近の関口先生の説教は聖書の知識についての話ばかりで、まるで学校の先生のようです」というご指摘がありました。学校に染まりすぎかもしれません。

しかし、今日もお許しください。今日の箇所に登場する「皇帝アウグストゥス」とは何者なのかの説明から話を始めます。歴史的な説明を避けることができません。

ジュリアス・シーザーの名前は、ご存じでしょうか。シェークスピアの劇で、暗殺されるとき「ブルータス、お前もか」と叫ぶ人。あのシーザー(ユリウス・カエサル)の後継者がアウグストゥスです。

シーザーまでのローマは共和制でした。まだ比較的みんなで相談して決める政治の形が残っていました。しかしシーザーが独裁者になって暴走しはじめたので、それを食い止めるためにブルータスたちによって暗殺されました。それは悲劇でした。

しかし、そのシーザーの後継者がアウグストゥスです。アウグストゥスはシーザー以上の独裁者になりました。地中海沿岸のほとんどの地域を強大な軍事力で制圧し、支配しました。

ところが、その独裁者とは真逆の姿で真の救い主がお生まれになったというのが、今夜の箇所の主旨です。「皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録せよとの勅令が出た」(1節)のは、ローマ帝国に税金を納める人の人数を調べるためです。

それでやむをえず、イエスさまがお腹にいる母マリアと夫ヨセフが、その住民登録のために遠くまで旅をしなければなりませんでした。強いられた感、やらされている感の中で、ひきずりまわされ、ひどく辛い目に遭わされました。

しかし、同じ目的で移動中の宿泊者が多く、宿屋に空き部屋が無かったので、なんと惨めなことに、家畜小屋で出産となり、なんと見すぼらしい飼い葉桶の中に生まれたばかりのイエスさまを寝かさざるをえなかった、という話です。

しかし、今日お話ししたいのはもう少し先のことです。実は今夜開いているルカによる福音書と、もうひとつ新約聖書の使徒言行録という書物は、同じ著者が書いたものです。そして、使徒言行録の最後に書かれているのは、使徒パウロがローマ帝国の首都ローマにたどり着き…イエス・キリストについて教え続けた(使徒言行録28章31節)事実です。

つまり、ルカによる福音書と使徒言行録の2冊の書物を書いた人は、イエスさまがお生まれになった時代のローマのひどい独裁者のせいでイエスさまも含めた多くの人々がひどい目にあった事実から書きはじめて、使徒パウロがローマでイエス・キリストの福音を宣べ伝えはじめるまでのすべてを関連付けて考えたうえで、今日の箇所の出来事についても書いていると言えます。

これで私が何を言いたいか。今夜はクリスマスイブです。クリスマスにおいてわたしたちが、イエスさまがお生まれになったことをお祝いするのも大事です。しかし、「イエスさまがお生まれになった」で話が終わらないことが大事です。

真の救い主としてイエスさまがお生まれになったことを信じて受け入れ、イエスさまの教えと生きざまに倣って生きて来た「教会」が世界中に生まれたことこそが、イエスさまの存在に匹敵するほど大事である、ということです。

クリスマスが12月25日であるのは、イエスさまが「12月25日生まれ」であるということではありません。詳しい説明はやめますが、今から1600年ほど前に、イエスさまのお誕生をお祝いする日を「12月25日」にしましょうと決めただけです。そしてそれ以来、毎年教会でクリスマスが祝われるようになりました。それをしたのは「教会」です。

今日お話ししたいのは「教会なしにクリスマスはない」(No Church No Christmas)ということです。今では世界中でクリスマスが祝われています。しかし「教会のことが忘れられていませんか」と思うことが多いです。

「教会、教会」としつこく言いますと、クリスマスイブ音楽礼拝の楽しい時間を台無しにしてしまいますので、これでやめます。

しかし、「教会」を忘れないでいただきたいです。もし可能でしたら、日曜日に教会に通ってください。昭島教会が遠い方は近所の教会に通ってください。ぜひよろしくお願いいたします。

(2021年12月24日、クリスマスイブ音楽礼拝)


このブログの人気の投稿

感謝の言葉(2024年2月25日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 436番 十字架の血に 礼拝開始チャイム 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「感謝の言葉」   フィリピの信徒への手紙4章10~20節  関口 康   「物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。」  今日朗読していただいたのは先々週2月11日にお話しする予定だった聖書箇所です。それは、日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』で2月11日の朗読箇所として今日の箇所が定められていたからです。しかし、このたび2月末で私が昭島教会主任担任教師を辞任することになりましたので、そのような機会に今日の箇所についてお話しすることはふさわしいと感じていました。 ところが、全く予想できなかったことですが、1月半ばから私の左足が蜂窩織炎を患い、2月11日の礼拝も私は欠席し、秋場治憲先生に説教を交代していただきましたので、今日の箇所を取り上げる順序を変えました。昭島教会での最後の説教のテキストにすることにしました。 今日の箇所でパウロが取り上げているテーマは新共同訳聖書の小見出しのとおり「贈り物への感謝」です。パウロは「使徒」です。しかし、彼の任務はイエス・キリストの福音を宣べ伝えること、新しい教会を生み出すこと、そしてすでに生まれている教会を職務的な立場から霊的に養い育てることです。現代の教会で「牧師」がしていることと本質的に変わりません。なかでも「使徒」と「牧師」の共通点の大事なひとつは、教会員の献金でその活動と生活が支えられているという点です。 パウロが「使徒」であることとは別に「職業」を持っていたことは比較的よく知られています。根拠は使徒言行録18章1節以下です。パウロがギリシアのアテネからコリントに移り住んだときコリントに住んでいたアキラとプリスキラというキリスト者夫妻の家に住み、彼らと一緒にテント造りの仕事をしたことが記され、そこに「(パウロの)職業はテント造り」だった(同18章3節)と書かれているとおりです。現代の教会で「牧師たちも副業を持つべきだ」と言われるときの根拠にされがちです。 しかし、この点だけが強調して言われますと、それではいったい、パウロにとって、使徒にとって、そして現代の牧師たちにとって、説教と牧会は「職業ではない

天に栄光、地に平和(2023年12月24日 クリスマス礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 261番 もろびとこぞりて 礼拝開始チャイム 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「天に栄光、地に平和」 ルカによる福音書2章8~20節 関口 康 「『あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」 クリスマスおめでとうございます! 今日の聖書箇所は、ルカによる福音書2章8節から20節です。イエス・キリストがお生まれになったとき、野宿をしていたベツレヘムの羊飼いたちに主の天使が現われ、主の栄光がまわりを照らし、神の御心を告げた出来事が記されています。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである」(10節)と、天使は言いました。 天使の名前は記されていません。ルカ福音書1章に登場するヨハネの誕生をその母エリサベトに告げ、また主イエスの降誕をその母マリアに告げた天使には「ガブリエル」という名前が明記されていますし、ガブリエル自身が「わたしはガブリエル」と自ら名乗っていますが(1章19節)、ベツレヘムの羊飼いたちに現われた天使の名前は明らかにされていません。同じ天使なのか別の天使なのかは分かりません。 なぜこのようなことに私が興味を持つのかと言えば、牧師だからです。牧師は天使ではありません。しかし、説教を通して神の御心を伝える役目を引き受けます。しかし、牧師はひとりではありません。世界にたくさんいます。日本にはたくさんいるとは言えませんが、1万人以上はいるはずです。神はおひとりですから、ご自分の口ですべての人にご自身の御心をお伝えになるなら、内容に食い違いが起こることはありえませんが、そうなさらずに、天使や使徒や預言者、そして教会の説教者たちを通してご自身の御心をお伝えになろうとなさるので、「あの牧師とこの牧師の言っていることが違う。聖書の解釈が違う。神の御心はどちらだろうか」と迷ったり混乱したりすることが、どうしても起こってしまいます。 もし同じひとりの天使ガブリエルが、エリサベトに

すべての時は、御手のうちに(2023年12月31日)

クリスマスイヴ音楽礼拝(2023年12月24日 宣教 秋場治憲先生) 讃美歌 410番 鳴れかし鐘の音 礼拝開始チャイム 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「すべての時は、御手のうちに」 コヘレトの言葉3章1~15節 秋場治憲 「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」 (2023年12月31日 歳末礼拝)