スキップしてメイン コンテンツに移動

主の道を備える(2021年12月12日 待降節礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きいただけます

週報(第3598号)電子版はここをクリックするとダウンロードできます

宣教要旨(下記と同じ)のPDFはここをクリックするとダウンロードできます

「主の道を備える」

イザヤ書40章1~11節

関口 康

「呼びかける声がある。主のために荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために荒れ野に広い道を通せ。」

今日の聖書の箇所は旧約聖書のイザヤ書40章です。イザヤ書についてはだいたい定説になっている読み方があることを確認する必要があります。それはイザヤ書の1章から39章までを書いた預言者イザヤと、40章以下を書いた預言者とは、別の時代の別の人であるということです。

なぜそのように言えるか。1章から39章までを書いた預言者イザヤは、この人が紀元前8世紀の南ユダ王国のウジヤ王の顧問官だったことが分かる内容が記されています。それに対し、40章以下に描かれているのは紀元前6世紀の出来事です。特に44章28節に出てくる「キュロス」という名前の人物は、紀元前6世紀のペルシアの王です。

そのため、紀元前8世紀の「本来の」イザヤが2世紀も隔たりがある紀元前6世紀のペルシアの王の名前を知っていたはずがないという推論が働き、要するに40章以下は紀元前6世紀の人が書いたとしか言いようがないという結論になったという次第です。イザヤ書40章以下を、39章までの預言者と区別するための学説上の名称は「第二イザヤ」と言います。

さらにもう少し言えば、「第二イザヤ」の範囲は40章から始まってイザヤ書の最後まで、ではなく、「第二イザヤ」の終わりは55章までで、56章から66章まではさらに別の預言者が書いたものだと言われます。その部分の著者を、学説上の名称で「第三イザヤ」と言います。

「第三イザヤ」の時代は「第二イザヤ」と同じ紀元前6世紀です。しかし、「第二イザヤ」との違いは思想や用語が違うと言われます。ヘブライ語の聖書を読むことができる学者がイザヤ書を読むと、55章から56章に移るところでがらっと文体や語調が変わる様子が分かるそうです。

しかし、このような、同じ「イザヤ書」の中に異なる時代の別の預言者の言葉が含まれているという学説は、それが定説として受け入れられるまでにしばらくの年月がかかったと思われます。もっとも私は、この学説が教会に受容された詳しい消息を知っているわけではありません。

しかし、このような聖書に関する、聖書に直接書いてあるわけでない学説上の知識の話を教会の中でするだけで嫌悪感や拒絶反応を表明されることがあるので要注意だと思っています。私も、自分が知っていることのひけらかしをしたいわけではありません。聖書という書物を歴史的背景や文脈を無視して、まるで占いの本であるかのように読んではいけないと思うだけです。

かろうじて21世紀まで生きた私たちです。しかし、2世紀後の23世紀の世界がどうなるかを知ることは不可能です。そのとき世界はどうなるかについて勝手なことを言うのは、ある意味で簡単です。しかし、23世紀にもなお日本という国があるとして、そのときもまだ天皇や総理大臣などの制度が仮に存続しているとして、その人たちの名前を今のわたしたちが言い当てることは不可能です。それとイザヤ書の時代的区分の話は同じだと思っていただきたいです。

イザヤ書40章からの「第二イザヤ」は紀元前6世紀の人です。紀元前11世紀に成立したイスラエル王国が初代サウル王時代、二代目ダビデ王時代、三代目ソロモン王時代を経て、ソロモンの子どもたちが王位継承権を争い、北と南の2つの国へと分裂しました。それが前10世紀です。

その後、北王国は紀元前8世紀にアッシリア帝国によって滅ぼされ、南王国は紀元前6世紀に新バビロニア帝国によって滅ぼされます。

特に、南王国が新バビロニア帝国によって滅ぼされたときは、南王国の指導者層の人々(その人数は3千人とも1万人とも言われる)と、両眼をつぶされ、青銅の足かせをかけられた南王国最後の王ゼデキヤとが新バビロニア帝国の首都バビロンに連行され、そこで約70年とらえられた状態にありました。それを「バビロン捕囚」と言います。

その後、新バビロニア帝国はペルシア帝国によって滅ぼされ、ペルシアの王キュロスはユダヤ人をバビロンにとらえたままにする必要がないと判断し、ユダヤ人をパレスチナに返しました。それで、バビロンから解放されたユダヤ人たちは、祖国の首都エルサレムに戻り、新バビロニア帝国によってめちゃくちゃに破壊された町や神殿を、時間をかけて再建しました。

今日開いたイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」は、キュロスによってバビロンからユダヤ人が解放され、祖国再建の夢を抱いてパレスチナに帰還したその出来事をまさに描いています。これは紀元前6世紀の出来事なので、紀元前8世紀の本来のイザヤがそれを知りえたはずがない、というのが今日の最初に説明したことです。

私は聖書の講義をしているわけではありません。聖書の言葉を歴史的な文脈を無視して読んで、その中の印象的な言葉を書にして、額縁に入れて飾るだけでは何の意味もないと思っているだけです。それだけであれば、聖書はただのファッションです。聖書の言葉は自分を心地よい気持ちにしてくれるだけのアクセサリーではありません。

しかも、今日の箇所を含むイザヤ書40章以下の「第二イザヤ」が描いている状況は、ユダヤ人たちがバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って祖国を再建する夢と希望を抱く場面です。「バビロン捕囚、バビロン捕囚」と言いますが、それは要するに戦争とその結果です。自分の国が負けて敵国の支配下に置かれ、自分たちの思い通りにならなくなることです。

高齢者になって、若いころにはできたことができなくなって、若い人たちに支配された状態に置かれることも、ある意味で似ているかもしれません。自由でない状態に我慢ができなくなって爆発的に騒ぐ人たちがいますが、それも似ています。戦争に負けて自分たちの自由を奪われた人たちの希望と目標は、自分たちの思いどおりにできるようになることでしょう。彼らにとってはそれが「バビロン捕囚からの解放」の意味です。

このイザヤ書40章以下の言葉と、ユダヤ人のバビロン捕囚からの解放の出来事が、新約聖書のマタイによる福音書に直接影響を与えていることは明白です。マタイ1章1節以下の「イエス・キリストの系図」の最後に「アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロンへの移住まで14代、バビロンへ移されてからキリストまで14代」(17節)と書かれているのは、マタイによる福音書がキリストを「バビロン捕囚からの真の解放者」だと考えているからだと私は考えます。

しかし、イエス・キリストはユダヤ人を政治的に解放して新しい国を作るために来られたわけではないというのがマタイによる福音書を含む新約聖書の教えであり、わたしたちキリスト教会の信仰です。「バビロン捕囚」は「敗戦」という言葉に置き換えることができます。敗戦を実際に体験した世代の方々には「敗戦」と言うほうがピンと来るかもしれません。

戦争に負けた敗戦国がめざすことは、敵国への復讐を果たして戦争以前の国を取り戻すことではなく、人と人が争い合うこと自体をやめ、真の平和の実現のために人間の心の問題に取り組み、神による魂の救いを体験することです。イエス・キリストが来てくださったのは、そのためです。

(2021年12月12日 待降節礼拝)

このブログの人気の投稿

主は必ず来てくださる(2023年6月18日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 343番 聖霊よ、降りて 礼拝開始チャイム 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「主は必ず来てくださる」 ルカによる福音書8章40~56節 関口 康 「イエスは言われた。『娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。』」 今日の朗読箇所は長いです。しかし、途中を省略しないで、すべて読むことに意義があります。 なぜなら、この箇所には2つの異なる出来事が記されていますが、もしそれを「第一の出来事」と「第二の出来事」と呼ぶとしたら、第一の出来事が起こっている最中に横から割り込んで来る仕方で第二の出来事が起こり、それによって第一の出来事が中断されますが、その中断の意味を考えることが求められているのが今日の箇所であると考えることができるからです。別の言い方をすれば、その中断は起こらなければならなかった、ということです。 出だしから抽象的な言い方をしてしまったかもしれません。もっと分かりやすく言い直します。 たとえていえば、教会に長年通い、教会役員にもなり、名実ともに信徒の代表者であることが認められているほどの方に、12歳という今で言えば小学6年生の年齢なのに重い病気で瀕死の状態の子どもさんがおられたので、一刻も早くそのお子さんのところに行ってください、来てくださいと、教会役員からも、その子どもさんのご家族からも緊急連絡が入ったので、イエスさまがすぐに行動を起こされ、その家に向かっておられる最中だった、と考えてみていただきたいです。 しかし、イエスさまがかけつけておられる最中に、見知らぬ女性がイエスさまに近づいて来ました。その女性はイエスさまが急いでおられることは理解していたので、邪魔をしてはいけないと遠慮する気持ちを持っていました。しかし、その女性は12年も病気に苦しみ、あらゆる手を尽くしても治らず、生きる望みを失っていましたが、イエスさまが自分の近くをお通りになったのでとにかく手を伸ばし、イエスさまの服に触ろうとして、そのときイエスさまが着ておられたと思われるユダヤ人特有の服装、それは羊毛でできたマント(ヒマティオン)だったと考えられますが、そのマントについていた、糸を巻いて作られた2つの房(タッセル)のうちのひとつをつかんだとき、イエスさまが立ち止まられて「わたしに触れたのはだ

栄光は主にあれ(2023年8月27日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 280番 馬槽の中に 礼拝開始チャイム 週報電子版ダウンロード 「栄光は主にあれ」 ローマの信徒への手紙14章1~10節 「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」 (2023年8月27日 聖日礼拝)

悔い改めと赦し(2023年6月4日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13) 讃美歌21 494番 ガリラヤの風 週報電子版ダウンロード 宣教要旨ダウンロード 「悔い改めと赦し」 使徒言行録2章37~42節 関口 康 「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。』」 先週私は体調不良で大切なペンテコステ礼拝を欠席し、秋場治憲先生にすべての責任をお委ねしました。ご心配をおかけし、申し訳ありません。私はもう大丈夫ですので、ご安心ください。 キリスト教会の伝統的な理解としては、わたしたちの救い主イエス・キリストは、もともと神であられましたが、母マリアの胎から人間としての肉体を受け取ることによって人間になられた方です。その人間としての肉体を受け取ることを「受肉(じゅにく)」と言います。 しかし、キリストは人間になられたからといって神であられることを放棄されたわけではなく、神のまま人間になられました(フィリピ2章6節以下の趣旨は「神性の放棄」ではありません)。そしてキリストは十字架と復活を経て、今は天の父なる神の右に座しておられますが、人間性をお棄てになったわけではなく、今もなお十字架の釘痕(くぎあと)が残ったままの肉体をお持ちであると教会は信じています。不思議な話ですが、これこそ代々(よよ)の教会の信仰告白です。 それに対して、聖霊降臨(せいれいこうりん)の出来事は、順序が逆です。もともと人間以外の何ものでもないわたしたちの中に父・子・聖霊なる三位一体の神が宿ってくださるという出来事です。わたしたち人間の体と心の中に神であられる聖霊が降臨するとは、そのような意味です。 昨年11月6日の昭島教会創立70周年記念礼拝で、井上とも子先生がお話しくださいました。井上先生が力強く語ってくださったのは、わたしたちが毎週礼拝の中で告白している使徒信条の「われは聖なる公同の教会を信ず」の意味でした。わたしたちは父なる神を信じ、かつ神の御子イエス・キリストを信じるのと等しい重さで「教会を信じる」のであると教えてくださいました。私もそのとおりだと思いました。 教会は人間の集まりであると言えば、そのとおりです。「教会を信じる」と言われると、それは人間を神とすることではないか、それは神への冒瀆で