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主の恵みの福音(2022年12月4日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
讃美歌21 231番 久しく待ちにし
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます


「主の恵みの福音」

ルカによる福音書4章14~30節

関口 康

「そこでイエスは、『この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した』と話し始められた」

今日の箇所に記されているのはイエスさまの宣教活動初期に起こった出来事です。「イエスは〝霊〟の力に満ちてガリラヤに帰られた」(14節a)とあります。このように言われる場合の「ガリラヤ」は広い意味です。パレスチナの北部一帯を指していると言えますし、「ガリラヤ」という言葉には「周辺」すなわち「地方」を意味すると説明されます。

ですから「その評判が周りの地方一帯に広まった」(14節b)とあるのは、ガリラヤという名前の町があって、そこから近隣地域へ広まったという意味ではありません。「イエスはお育ちになったナザレに来て」(16節)も、ガリラヤという町からナザレという村へ移動されたという意味ではありません。ガリラヤ地方の中にナザレという村があり、そこへ行かれました。

「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」(15節)とあるのも、ガリラヤ地方にユダヤ教の会堂(シナゴーグ)がいくつかあり、それらを巡回されて聖書の教えをお語りになることにおいて、みんなから尊敬される存在であられたということです。

しかし、それではなぜ、イエスさまがガリラヤ地方を最初の伝道拠点になさったのか、その理由は何でしょうか。考えられる理由が2つあります。

ひとつは、「周辺」や「地方」や「田舎」と言える地域から伝道することで、首都エルサレムや他の大都市のようなところで起こるのとは異なる、人と社会をめぐる様々な問題があるので、その問題にイエスさまが取り組もうとされたのではないかということです。あえてタイトルをつければ、イエスさまが「田舎伝道」に意義を見出された可能性です。

しかし、もうひとつ考えられる理由があります。ガリラヤ地方がイエスさまが幼少期を過ごされた故郷だったからです。つまり「郷里伝道」です。自分の親、兄弟、親戚、子どもの頃からの友人たち、同じ方言を使う人たち。その人たちに伝道したいとイエスさまが願われた可能性です。

どちらの可能性も否定できません。しかし、今日開いているルカによる福音書を読む限りにおいては、どちらかというと後者「郷里伝道」をイエスさまが願われた可能性が前面に出ています。たとえば、16節に「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。「お育ちになったナザレ」という言葉でナザレがイエスさまの故郷であることが強調されています。

「いつものとおり」は「慣例に従って」とも訳せる言葉ですが、このときの状況を鑑みると、イエスさまが物心つく頃から家族と共に通ったシナゴーグの昔ながらのあり方を踏襲してというニュアンスを読み取れます。イエスさまは宣教活動を開始されたのが30歳。30年程度では教会はやり方を変えません。50年でも100年でも、同じ讃美歌を歌い、同じ聖書を読み、同じ順序の礼拝を行います。

ナザレの会堂でイエスさまが聖書朗読のためにお立ちになり、「預言者イザヤの巻物が渡され」、お開きになりました(17節)。当時の会堂(シナゴーグ)の礼拝は、信仰告白(シェマー)、祈り、律法と預言者の各朗読、そして説教もしくは自由なお話で構成されていました。

すべてのユダヤ人男性は、律法の一部の朗読後、預言者の一部を朗読する権利がありました。律法の朗読は連続的な箇所が朗読されましたが、預言者は朗読者が自分で朗読箇所を選ぶならわしでした。つまり、このときイエスさまが開かれたイザヤ書は、ご自身がお選びになった箇所だということです。

そして、その箇所をイエスさまがご自身で声を出して朗読されました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。

ただし、これがイザヤ書のどこかを探すのは難しいです。ひとつの箇所ではなく、いくつかの箇所をお読みになったからです。イザヤ書61章1節、58章6節、61章2節です。そしてイエスさまは巻物を巻いて係の人に返し、席に座られました。臨場感がある描写です。

イエスさまご自身が意図的にこのようにお読みになったのか、それともルカが要約しているのかは、どちらの可能性もあります。しかし、イエスさまが強調しようとされた核心部分が何であるかは明白です。それは「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれた」という点です。

「貧しい」の他に「捕らわれている人」、「目の見えない人」「圧迫されている人」についても語られています。しかし、それらの人々も「貧しさ」と無関係とは言い切れませんし、「解放」と「視力」と「自由」を手に入れるのはその人々です。それは「心の貧しさ」(マタイ5章3節)でも物質的・金銭的な貧しさでもあります。「貧しさ」の中で傷つき、苦しみ、絶望している人々が解放され、自由を与えられることが「救い」であり、それが「主の恵みの年」を告げることだとイザヤ書が記しています。

この「主の恵みの年」は旧約聖書レビ記25章に規定された「ヨベルの年」を指します。ユダヤ人が奴隷の地エジプトから解放されたことを記念する50年ごとのお祝いの年。「7年×7=49年」の翌年。

そして、イエスさまは「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」と言われました。すると、そこにいた人々はイエスさまのことを「ほめ」、イエスさまの言葉に「驚き」ました。しかし、彼らの反応はそれだけでした。それ以上は何もしませんでしたし、それどころか、「この人はヨセフの子ではないか」と言い出しました。

この反応はイエスさまに対する疑問や反発です。大工の子ではないか、聖書の専門家ではないではないか。そんな人が「この聖書の言葉が今日実現した」とか言っている。実現できる力をお前ごときが持っているはずがない。お前のことは赤ん坊の頃から知っている、幼馴染み、同郷のよしみだと思っていたのに、我々に上から目線で指図するのはやめてくれと身構え始めている様子がうかがえます。

そのことをお察しになったイエスさまがおっしゃった言葉が「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」(24節)です。「自分の故郷」で神のみことばを語る人が嫉妬や嘲笑を受けやすい立場に置かれるのは昔も今も変わりません。横並びの関係だと思っていた相手に前に立たれると困るのです。

今日の箇所から学べることは「伝道の難しさ」かもしれません。イエスさまにとっても「郷里伝道」は難しいことでした。故郷の人々に殺されそうになりました。最も近い関係の相手にこそ、最も伝道が難しい。それはわたしたちも繰り返し体験してきたことです。

何が伝道の障害なのかをよく考えなくてはなりません。わたしたち自身の心が伝道を妨害している可能性があります。みことばを語る人に対する嫉妬ややっかみのような感情が心の中に渦巻いていると、素直に聞くことができないかもしれません。

しかし、「だれが語るか」よりも、「何が語られ、何を信じるか」が大事です。聖書の御言葉がおのずから働くその力を信じることが大事です。わたしたちはだれから算数を学んだでしょうか。小学校時代の先生の名前を思い出せなくても、算数ができればそれでいいのです。それと同じです。

(2022年12月4日 聖日礼拝)

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