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真の葡萄の木(2022年5月15日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 すべての民よ、よろこべ 327番(1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

宣教要旨(下記と同じ)PDFはここをクリックするとダウンロードできます

「真の葡萄の木」

ヨハネによる福音書15章1~11節

関口 康

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしがその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」

私は今日のこの箇所のみことばを読むたびに、避けて通ることができない記憶と立ち向かうことになります。それは、私が生まれると同時に両親に連れられて通い始めた教会に関する記憶です。

日本キリスト教団岡山聖心教会です。近くに岡山地方裁判所があるなど、岡山県岡山市の市街地の中心に位置します。今も存在し、日本キリスト教団の最大規模(何位かは知りません)の教会です。

昭島教会と同じで、太平洋戦争後、自給開拓伝道の形で始まった教会です。なぜ私の出身教会がその教会なのかといえば、私の母の実家があった場所から徒歩3分の距離にあった江戸時代の武家屋敷が礼拝堂として用いられていたからです。今は同じ場所にコンクリートの巨大な礼拝堂が立っています。

その武家屋敷の住所は、母の実家と同じ町名でした。岡山市は1945年6月29日にアメリカ軍のB-29爆撃機140機による無差別爆撃を受け、市街地が一気に焦土と化しました。当時14歳の母も戦火の中を逃げ惑う体験をしたそうですが、家屋を失うまでには至りませんでした。

岡山聖心教会が開拓伝道を始めた江戸時代の武家屋敷も、灰にならずに残りました。岡山聖心教会の創立は、日本基督教団年鑑によれば1947年5月ですので、母は16歳ですが、開拓伝道が始まった直後、最初期の教会員になりました。母は熱心な仏教徒(日蓮宗不受不施派)の家庭に生まれましたが、実家の近くに教会ができたので、そこに通い、まもなく信仰を与えられ、教会員になりました。

その後、私の父が独身の頃、岡山に引っ越して来て、岡山聖心教会の教会員になります。父は群馬県前橋市の出身者で、岡山とは無縁でしたが、大学卒業後、農業高校教員になることを志し、就職のために岡山に移住しました。そして、父は大学時代に日本キリスト教団松戸教会で洗礼を受けてキリスト者になりましたので、岡山で通う教会を求めて岡山聖心教会にたどり着きました。

そこで両親が出会い、結婚し、兄と私が生まれました。両親とも教会学校の教師になりましたので、日曜日の朝は家族で教会に行き、多くの時間を教会に費やし、帰宅する生活でした。

そのような中、私が物心つく3歳くらいからの記憶は1960年代後半から始まりますが、私の記憶の中の岡山聖心教会は、日曜の礼拝でも、日曜午後7時半からの夕拝でも、水曜の夜の祈祷会でも、日曜の教会学校の礼拝でも、朗読される聖書箇所はすべて、今日の箇所でした。

それが、私が高校を卒業する18歳まで続きました。3歳引いた15年間は間違いなく、私の記憶の中の岡山聖心教会で朗読される聖書の箇所はすべて今日の箇所だけでした。

理由は分かりません。高校卒業後は東京神学大学に入学し、神学大学卒業後は日本キリスト教団南国教会に赴任しましたので、岡山の記憶は高校卒業と同時に終わります。

私がはっきり覚えているのは、物心つく頃から高校を卒業するまでの15年間で岡山聖心教会が急激に成長し、私が高校生の頃には現住陪餐会員が500名を超え、礼拝出席者が250名を超え、3つの附属幼稚園を有する教会になったことです。250名が武家屋敷の大広間に敷き詰められた座布団の上に正座して礼拝をささげました。

私が高校を卒業するのが1984年ですので、岡山聖心教会は当時で創立37年です。今年75周年です。戦後の自給開拓伝道教会が、37年後には礼拝出席者250名を超える教会になった理由も私には分かりません。私に分かるのは、私が憶えているかぎり15年間ずっと今日の箇所だけが、どの礼拝でもどの集会でも読まれ続けた事実だけです。

私の話が長くなりすぎましたので、そろそろやめます。しかし、もうお気づきでしょう。私がこのことを必ずしも良い意味でお話ししていない、ということに。

今日の箇所は、イエス・キリストご自身が語られたみことばとして、ヨハネが記しているものです。しかし、この箇所のイエスさまのお言葉の印象は、どちらかといえば、肯定的な言葉よりも、否定的な言葉のほうが前面に出てきていることにお気づきいただけると思います。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(1節)は肯定的です。しかし、その次は「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝は、父が取り除かれる」(2節)と否定的です。

「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」(4節a)は、肯定的です。しかし次は「ぶどうの枝が、木につながっていないならば、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(4節b)と否定的です。

否定的な言葉はまだ出てきます。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(5節)、「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」(6節)。

岡山の牧師はこの箇所を朗読するだけで一度も説明してくれませんでした。そのことも確実に証言できます。実はかなり長いあいだ疑問を抱いていましたので直接質問すべきだったかもしれませんが、1906生まれで私より59歳も年上の方でしたので、質問する勇気がありませんでした。

疑問を抱いていたのは、私だけではなかったかもしれません。「わたし」につながっていなければ、実を結ぶことができない、「わたし」を離れては、あなたがたは何もできない、「わたし」につながっていない人は、枝のように外に投げ捨てられて枯れ、集められて、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

この「わたし」は誰のことかを牧師が説明しないので、各自が自由に解釈し、なかにはひどい誤解を抱き、信じた方がいたかもしれない、いなかったかもしれない。そのように考えざるをえません。

はっきり申します。この「わたし」はイエス・キリストただおひとりだけです。他のいかなる存在とも結び付けることは不可能です。ヨハネによる福音書の「わたしは~である」(エゴー・エイミー)は排他的・絶対的な意味を持つとブルトマンが書いていることは、先日ご紹介したとおりです。

しかも、この箇所で、イエス・キリストに「つながる」か「離れる」かという問題と、ひとつの教会のメンバーかどうかという問題、あるいは日曜日の礼拝に来るか来ないかという問題は、完全に区別して考えないと、ひどい誤解を生むことに必ずなります。

「わたしは~である」(エゴー・エイミー)形式の「わたし」は、イエス・キリストおひとりだけであって、「教会」も該当しません。「教会」から離れた人は「火に投げ入れられて焼かれてしまう」のでしょうか。礼拝をしばらく休むと焼かれるのでしょうか。そういう話であっていいわけがありません。

私の出身教会の批判をしているのではありません。申し上げたいのは、わたしたちは今日の聖書の箇所をどう読むかです。もしこの箇所に恐怖を抱くとしたら読み方が間違っていると考えるべきです。

イエスさまは「わたしの愛にとどまってほしい」と心から願っておられます。「木から枝が離れたら、その枝は枯れる」というのも大自然の法則です。反対者は処罰するという話ではありません。

イエスさまはどこまでも愛してくださる方です。わたしの愛のうちにとどまってほしい、愛の関係を続けてほしいと願っておられます。恐怖と脅迫による支配は、イエスさまとは一切無縁です。

(2022年5月15日 聖日礼拝)

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