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エマオへの道で(2022年5月29日 聖日礼拝)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)

讃美歌21 494 ガリラヤの風 (1、3節)
奏楽・長井志保乃さん 字幕・富栄徳さん

礼拝開始のチャイムはここをクリックするとお聴きになれます

秋場治憲先生

2022年5月29日 日曜日

宣教「エマオへの道で」

ルカによる福音書24:13~35[1]

秋場治憲伝道師

「彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ書 53章 5節)

今年は教会暦では5月26日(木)が「キリストの昇天日」であり、今日はそのことを覚える聖日です。そして来週はペンテコステ(聖霊降臨日)です。教会暦に従うならキリストの昇天の記事をテキストにするべきなのですが、私はもう少し甦った主イエスとの語らいの中にいたいと思い、二人の弟子が故郷のエマオ村へ向かう道中での出来事をテキストにさせていただきました。甦った主イエスも二人が、「私たちと一緒にお泊り下さい」と引き留めると、それに応じて食事を共にされ、その時の仕草で二人は甦った主イエスに出会うことができた、ということですから、私も同じお願いをした次第です。

前回、私は主イエス・キリストの甦りは、歴史の外で起こったことであると申し上げました。何故なら主イエスは「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」たのですから、すでに私たちが今生きているこの歴史上の人ではなくなっておられるからです。使徒信条は更に続きます。「よみにくだり、三日目に死人のうちより甦り、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、」主イエスの甦りは歴史の外で起こったことですが、父なる神は特別のはからいをもって、甦った主イエスを歴史の内に現わしてくださったのです。これが歴史的出来事です。

墓の前で悲嘆にくれるマグダラのマリアには、あなたが向かうのは墓ではない。私はもうそこにはいないのだからと彼女の向きを変えさせ、この喜ばしき知らせを弟子たちへ伝える役割をお与えになりました。

その傷跡に指を差し入れてみなければ絶対に信じないと、自分の科学的、経験的判断に固執するトマスには、「あなたの指をここに差し入れてみなさい」とその手を差し出された。

「そんな男のことなど、私は知らない」と三度も否定して不信仰の極みまで突っ込んでしまったペテロにも、「私の羊を飼いなさい」と新たな使命をお与えになり、そして40日の後、弟子たちが見守る中で天に上げられた。この時の様子は、ルカ福音書の最後にしるされています。

今日のテキストは主イエスが十字架に死にて葬られてから三日目の出来事、二人の弟子がエルサレムから60スタディオン(約11㎞)離れたエマオという村へ帰って行く途中で起こったことを伝えています。エマオ村の場所は確定されていませんが、エルサレムから西へ、地中海に向かって11㎞の所にある場所が推定されています。新旧約聖書をお持ちの方は、付録として付いている「新約時代のパレスチナ」という地図でその推定されている場所を確認することができます。

エマオ村はエルサレムと港町ヤッファ(ヨッパ)を結ぶ街道近くに推定されていることが分かります。ヤッファという港はエルサレム神殿を建設するときにティルスの王フラム[2]が、レバノンで伐採した木材をこの港まで届けています。また山岳民族で羊飼いであるイスラエル民族が初めて海に出たケースとして、預言者ヨナを記憶しておられる方も多いと思います。神様に東のニネべに行けと言われたヨナは、ヤッファ(ヨッパ)の港から西の果てにあるスペインのタルシシ行の船に乗り込んだ、というお話です。これはまた別の機会に致します。いずれにしてもエマオ街道は地中海世界とエルサレムを結ぶ要衝の地であり、エマオ村にいた二人もエルサレムとヤッファを行き交う人たちから情報を得ていたと思われます。「神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者[3]」が現れた、という情報を聞いたと思われます。二人は東のエルサレム[4]を目指して出立します。「この方こそイスラエルを(ローマの支配から[5])解放してくださると望みをかけて」、朝日に向かって、なだらかな上り坂も苦にならず、希望に胸躍らせながら足取りも軽く、エルサレムに向かったと思われます。

しかし二人が「この人こそ」と望みを託したイエスは、祭司長たちや律法学者たちの画策により、ローマのユダヤ総督であるピラトに引き渡され、十字架刑に処せられてしまいました。11人の弟子たちはみんな逃げてしまった[6]。ユダヤ人たちを恐れてイエスの弟子であることを隠していた議員でアリマタヤ出身のヨセフ[7]という人が、ピラトにイエスの遺体の引き渡しを願い出て、墓に葬りました。律法学者のニコデモ[8]が没薬と沈香を混ぜた物を持参し埋葬に立ち会いました。またガリラヤから従ってきた女性たちが、二人について行き、イエスが墓に納められるのを確認して帰宅しました。ここまでが安息日開始前の出来事です。

イエスの埋葬の直後から安息日が始まったこともあり、二人はエルサレムに留まりました。そして三日目に墓に行った女性たちから墓は空であり、天使たちが「イエスは生きておられる」と告げたという話を聞いていました。しかし「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」とルカは伝えています。恐らく私たちがその場に居合わせたとしても、同じだったでしょう。いまだかつて墓の向こう側まで生きた人はおらず、二人はあきらめて故郷のエマオ村へ帰ることにしました。

まだ生前のイエスがガリラヤにいた時、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。[9]」という三日目がまだ終わっていないのに、二人がすでにエルサレムを離れたということは、二人も11人の弟子たちと同じように、墓に行った婦人たちによって伝えられたことは「たわ言」であると思っていたのでしょう。

道はなだらかに下っているにもかかわらず二人の足取りは重く、遅々として前に進みません。二人で墓に行った女性たちの言葉を思い返し、話し合ってみても、そんな馬鹿なことがあるはずがないという思いから抜け出すことができません。太陽が地中海の向こうに傾き始める中、二人は失意のどん底にいました。

この二人のうちの一人はクレオパという男性です。私はもう一人の弟子は誰だろうと思っていましたが、東京恩寵教会の榊原康夫牧師が「ルカ福音書講解⑥[10]」の中で、このもう一人の弟子はクレオパの奥さんではないかという指摘をしています。クレオパというのは原典ではクレオパスとなっています。この名前の原意はクレオ(良い評判)パトロス(父の)が合わされ略されたもので、このクレオパスを更に略したものがヨハネ福音書19:25に出てくる「クロパの妻マリア」の「クロパ」ではないかと思われるとのことです。なぜならルカはペテロとヨハネとかパウロとシラスとか、二人ぐらいならどっちの名前も挙げているのに、この場合に限って「クレオパ」だけを挙げて、もう一人を略しているのは、常識的に考えてクレオパの奥さんだと思われる、というのです。また「わたしたちの仲間の婦人たちが」という言葉も、素直に取れば、この私たちの方にも男と女もいて、だから墓に行った「婦人たちが」が「わたしたちの仲間」だとすらっと出てくるのだと思う、と指摘しています。また目的の村に着いて夕暮れ、“ぜひお泊り下さい、食事も一緒に”と勧められるのも、夫婦だからやれることではないか、と指摘しています。長い間の胸のつかえが一つ落ちたように感じた次第です。このもう一人の弟子が「クロパの妻マリア」だとすると、ヨハネ福音書では主イエスの最後を見届けた一人でありその死を確認した彼女にとっても、墓に行った女性たちの「主イエスは生きておられる」という言葉は他の弟子たちと同じように「たわ言」のように、あり得ないことと思われたのかもしれません。

この失意のどん底にいる二人に甦られた主イエスが近寄ってきて、共に歩まれます。そして信じられないでいる二人に主イエスが語ったことは、「『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された。[11]」というのです。そしてその説明を聞いた時、二人の心は内に燃えたというのです。ここに私の長年にわたるもう一つの胸のつかえがあります。一体主イエスは何をどう説明されたのだろうか、何が二人の心を燃え上がらせたのだろうか、と思い巡らしてみても、今日のテキストにはその内容は一言も触れられていません。しかし手がかりがない訳ではないのです。それは上記の言葉の中にあると思うのです。ここには主イエスと弟子たちとの間にメシア像の違いが指摘されています。

ペテロも主イエスがご自身の死と復活を予告された時、「そんなことがあってはならない」と主イエスをいさめて、主イエスに「サタン、引き下がれ。[12]」と厳しく叱責されています。ここにもメシア像の違いが見られます。

更に例を挙げるなら、皆さまよくご存じの「ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母の願い[13]」があります。この母は、あなたが「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左にすわれるとおっしゃってください。」と主イエスに言上し、主イエスから「あなた方は、自分が何を願っているか、分かっていない。」と言われています。主イエスはここで、「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかしあなた方の間では、そうであってはならない。[14]」と諭し、神の国の有様をその後に説明しています。ここにもメシア像の違いが見られます。バプテスマのヨハネも例外ではありません。彼は牢の中から「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。[15]」と主イエスに問うています。

更に主イエスご自身もこの点を指摘した箇所があります。マタイ福音書22:41~46に「ダビデの子についての問答[16]」と小見出しのついた箇所があります。引用しておきます。

「ファリサイ派の人々が集まっていた時、イエスはお尋ねになった。『あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。』彼らが、『ダビデの子です』と言うと、イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。

『主は(神は)、わたし(ダビデ)の主(メシア)にお告げになった。

『わたし(神)の右の座に着きなさい、

 わたしがあなた(メシア)の敵を

 あなた(メシア)の足もとに屈服させるときまで』と。[17]

「『このようにダビデがメシアを「わたしの主」と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。』これにはだれ一人、ひと言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はなかった。」

この違いはどこから生じてきたのか、どうして生まれてきたのか、その手がかりとしてイザヤ書を見てみたいと思います。イザヤ書には二種類のメシア像が出てきます。

 ・栄光の主としての像

 ・苦難の僕としての像

栄光の主としてのメシアは、11章に出てきます。これを書いた人は、貴族出身で紀元前8世紀の人。時のユダ王国の王アハズの腰のすわらない態度をいさめています。宗教的には神の荘厳さ、神が神聖にして冒すべからざる方であることを、深く捉えた人。旧約聖書中第一級の人といわれています。神を呼ぶのに「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ[18](口語訳)と言った人。この人の描いたメシアの姿が、11章に出てきます。これを要約すると、

 ・救い主は輝かしいダビデ王[19]のような方

 ・義と公平をもって民を審く方。

 ・その口の杖をもって国を打つ方。

 このメシアは輝かしく、高く、力に満ちている方。

ところが53章に出てくるメシアの姿は、これと正反対と言ってもいい。このメシアは

 ・乾いた土から出る見栄えのしない姿

 ・私たちの苦しみを負う方

 ・ほふり場に引かれていく子羊のような方

 全く正反対のメシア像が描かれている。

ではどうして、このような根本的な違いが起こってきたのか。

ここで簡単にイザヤ書の著者について見てみたいと思います。イザヤ書は全体で66章あります。一人の人によって書かれたものでないことが、分かってきました。

1 ~39章 第1イザヤ 先に触れた人

40~55章 第2イザヤ (53章はここに含まれる)

56~66章 第3イザヤ

53章が含まれている第2イザヤと呼ばれる人は、第1イザヤより百数十年後の人。第1イザヤと似ている点があり、影響を受けたと考えられているので、第2イザヤと呼ばれていますが、実は無名の預言者です。

しかし、この無名の予言者は、信仰とその宗教性の深さにおいて、その類を見ないと言われています。旧約聖書の頂点とも言われています。

それでは、第1イザヤと第2イザヤの抱くメシア(救い主)の違いが生まれてきた原因は何だったのだろうか。この点を考えるために、先ず第2イザヤが生きた時代のことを考えてみなければなりません。第2イザヤはイスラエルがバビロンに征服され、多くの人たちがバビロンに連れていかれ、惨憺たる苦悩と辱めを受けた時代に生きた人。バビロン捕囚です[20]。この時イスラエルは、徹底的に打ち砕かれ、無に帰せしめられた。紀元前586年、エルサレムが陥落した時代です。

ところがここでキュロスというペルシャ王が出現してバビロンを打ち破り、イスラエルに対して寛大なる政策をとった。この時の有様が第2イザヤの最初の部分、イザヤ書40章1~4にでています。

あなた方の主は言われる。

「慰めよ、わが民を慰めよ、

ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、

その服役の期は終わり、

そのとがはすでにゆるされ、

そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を

主の手から受けた」。

 

呼びかける声がある。

主のために、荒れ野に道を備え

私たちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。

険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。

主の栄光がこうして現れるのを

肉なる者は共に見る。

 

見よ、あなたたちの神

見よ、主なる神。

彼は力を帯びて来られ

御腕をもって統治される。

 

希望に満ちている。本当にここに救いがあると考えた。

 

 更にイザヤ書44:28~45:1

 主はこう言われる。

 「キュロスに向かって、私の牧者

 私の望みを成就させる者、と言う。

 エルサレムには、再建される、と言い

 神殿には基が置かれる、と言う。

 

 主が油を注がれた人キュロスについて

 主はこう言われる。

 私は彼の右の手を固く取り

 国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。

 扉は彼の前に開かれ

 どの城門も閉ざされることはない。

 

 私はあなたの前を行き、山々を平らにし

 青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り

暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。」

 

ペルシャ王キュロスを「油注がれた者」とほめたたえ、最高峰に達する。

イスラエルの民はエルサレムに帰って、神殿の再建に取りかかった。


ところがキュロスは数年にして、その政策を変えた。人々は非常な幻滅を覚え、打ちひしがれた。そして、キュロスを実際以上に評価していたことを痛いほど知らされるのです。

キュロスを油注がれた者[21]、ヤハウエの牧者とまで宣言し、神は彼の右の手をとって諸国を次々と征服していく、とまで。しかしイザヤ書49章以降には、キュロスについての言及はなくなります。イスラエルに痛切な反省が起こってきたのです。イスラエルを救うのは、権力を持ったメシアではない。ここには政治的・軍事的に力のあったキュロスは結局、あてにならなかった、という発見がありました。そして第2イザヤは宗教的に更に深められ、ここから「苦難の僕」が出てくるのです。

イスラエルは今まで「救い主」と言えば、ダビデ王のような栄光と権力に包まれたものであると考えていました。しかしこの考えは打ち砕かれてしまいました。神の侵しがたい真実は、ダビデの栄光と権力を通して現れるのではない。神の真理と真実は、深い悲しみを味わう人格を通してのみ実現される、と言うのです。

ここで今一度、第1イザヤの考えた栄光の救い主と第2イザヤを比較してみよう。11章は輝かしいダビデ王のような救い主、53章は痛ましい苦難の人の子。これを少し詳しく見ると、

あのメシアは ー エッサイの株より萌えいでた若枝

このメシアは ー 乾いた地から出る見栄えのしない若枝

 

あのメシアの肩には ― 主権がある

このメシアの肩には ― 我らの病と苦悩を担う

 

あのメシアは ― 義と公平をもって虐げられた者を審く

このメシアは ― 自ら虐げられ、懲らしめを受けて、自ら我らの不義

         を負われる

 

あのメシアは ― 民に君臨する主

このメシアは ― 罪人として審かれ、自分の命を贖いの供え物とする

このように比べてみますと、そのコントラストは際立っています。ダビデ的なメシア像は一つ一つ否定されていく。第2イザヤは栄光に満ちたダビデ的なメシア像への郷愁を、この<苦難の僕>の歌で、一つ一つ葬っていくのです。

結局、ダビデ的なメシア像は一つの理想像であって、人間の破れた現実を支え、問題と苦難と罪に閉じ込められた人間のところまで降りて来ない。真の人間の友、真の助け手とはならない。真の力と慰めの力を持ってはいない、と言うのです。栄光の主ではなく、<苦難の僕>が私たちを捉え、慰めそして解放する。

その打たれし傷によりて、我らは癒されたり[22]

この転換は、バビロン捕囚という破局の中で芽生えてきたのです。破局が新しい芽を育み、育てた。「私が暗闇で(こっそりと)話すことを、(あなた方は)明るみで(公然と)言いなさい。
[23]」という言葉が思い起こされます。しかもこの<苦難の僕>は、思想や哲学的な概念ではなく、ポンテオ・ピラトの時に、ゴルゴタの丘の上で、一人の人格を通して具体化したのです。

私たちが、弟子たちが栄光の主を求めて突き進む中で、<苦難の僕>を通して成された約束が、着々と実現されていた。この方が、今、ダビデ的なメシアを期待してエルサレムへ向かい、その夢破れてとぼとぼと帰郷する二人に近づいて来られ、共に歩まれた。この二人を甦った主イエスは、見ていられなかったようです。主イエスの方から二人に声をかけられた。そう言えば、いつも先に声をかけられるのは、主イエスの方からです。

しかし政治的、軍事的権力と威厳に包まれた方こそメシアであると思い込んでいた二人には、彼らと親しく話される方がその方であるということが中々認められないのです。「心ここに在らざれば、見れども見えず、聴けども聞こえず。食らえどもその味を知らず。
[24]」とは、こういうことなのかもしれません。甦ったキリストが私達にも日夜寄り添い共に歩まれているのに、私たちは自分の思いを優先し、全く別の方を見ていて、共に歩まれる主に気づかないでいるということはないでしょうか。

「いと高きところでは栄光神にあるように
[25]」というクリスマスのメッセージが伝えている「いと高きところ」とは、ベツレヘムの寒風吹き抜ける馬小屋に置かれた飼い葉おけの中なのです。

この方が聖書全体にわたり、ご自分について記されていることを縷々説明された。その内容の一つは、彼らの理解を妨げていたこの<メシア像の違い>を明らかにされたものだったはずです。その<苦難の僕>が今や夢破れ、失意のどん底にいた二人の心に寄り添い、親しく語り、今までとは違った新たな希望の灯を灯したのだと思います。彼らが主イエスに気が付いた時、その目的を達した主イエスは彼らの前からその姿を消されたのです。二人はすぐさまエルサレムへと、11キロの夜道を取って返したのです。

40日の顕現の後、弟子たちの見ている前で天に上げられた主イエスは、
聖霊によって証され、ペンテコステの出来事を通して世界中から集まってきていた三千人が悔い改めるという大仕事を成し遂げます。ペンテコステという出来事がエルサレムで起こった、ということが大事なのです。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥がひなを羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。[26]」と主イエスご自身が嘆かれたエルサレム、そのエルサレムにこそ罪の赦しの福音は、真っ先に知らされなければならない。神の子を十字架につけたエルサレム[27]にとっても、新しい恵みの時が到来したということなのです。そしてこのエルサレムこそ、私たち自身に他ならないのです。私たちは日々自分の十字架を背負って生きておりますが、その都度「復活の主イエス」から声をかけられ、日々新たに甦らされながら、神を賛美するものでありたいと願う者です。

復活節において、苦難の僕が負われた十字架の出来事の中に、その復活の意義について、考え尽くすことのできない慰めと希望をつなぎたいと思います。



[1] 参考箇所イザヤ書11:1~10、イザヤ書53:1~12、サムエル記下7:8~17     サムエル記上16:13、ヨハネによる福音書14:25~26

[2] 口語訳聖書は「ツロの王ヒラム」サムエル記下5:11

[3] ルカ福音書24:19

[4] エルサレムは標高927m

[5] ルカは注意深く<ローマの支配>をいう言葉を避けています。

[6] ルカ福音書23:49参照

[7] マタイ福音書27:57~61 マルコ福音書15:42~47 ルカ福音書23:50~56 ヨハネ福音書19:38~42 これらの箇所を合わせ読むと、アリマタヤ出身のヨセフと いう議員がどういう人の人物像が浮かび上がってきます。

[8] ヨハネ福音書3:1~15 7:50~52 19:39 ニコデモの人物像も浮かび上がってきます。

[9] ルカ福音書9:22

[10] P.357 この本は教会の牧師室の書棚にあります。

[11] ルカ福音書24:25~27

[12] マルコ福音書8:31~33 マタイ福音書16:21~25

[13] マタイ福音書20:20~28 マルコ10:35~45

[14] マタイ福音書20:25~28

[15] マタイ福音書11:2~6

[16] ルカ20:41~44 マルコ福音書12:35~37

[17] 詩篇110:1

[18] イザヤ書6:3「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」(新共同訳)

[19] ダビデは隣国ペリシテ(ゴリアテの話)を打ち破り、南北王国を統一し、イスラエルの王となった。外交・通商も活発になり、国は大いに繁栄した。

[20] エルサレムが陥落したのが紀元前586年でペルシャ王がユダヤ人解放の勅令を発布したのが紀元前538年ですから、約50年の期間になります。ユダの王ヨヤキムが亡くなり、その子ヨヤキンが18歳で王となったが、彼はバビロン王に降伏し捕虜となったのが紀元前598年です。この年から起算した場合は、その期間は60年となります。列王記下24章参照

[21] ギリシャ語にすると「キリスト」です。

[22] イザヤ書53:5 第1ペテロ2:23~25

[23] マタイ福音書10:27

[24] 四書のうちの大学の中にある一節とのこと。 

[25] ルカ福音書2:14(口語訳)

[26] ルカ福音書13:34 マタイ福音書23:37~39

[27] マタイ福音書23:37~39

(2022年5月29日 聖日礼拝)

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