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宣教への派遣(2021年8月1日 平和聖日)

日本キリスト教団昭島教会(東京都昭島市中神町1232-13)
旧讃美歌 531番 こころのおごとに 奏楽・長井志保乃さん


「宣教への派遣」

使徒言行録9章26~31節

関口 康

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」

今日は日本キリスト教団が毎年8月の第1主日を「平和聖日」と定めたことに基づく礼拝です。日本キリスト教団がこの日を定めたのは1962年であり、実施は翌年1963年8月からです。私は1965年生まれなのでまだ生まれていませんが、前回の東京オリンピックが開催された1964年の前年から始まったと言えば、憶えやすい話になるかもしれません。

まだ生まれていなかった私は、当時の空気を知る立場にありません。しかし、太平洋戦争終結の1945年から15年経過した1960年に締結された新しい日米安保条約に反対する人々が国会前等で大規模なデモを行った、いわゆる60年安保の議論を背景にしながら、日本キリスト教団でも活発な議論を経て「平和聖日」が定められたという流れにあることは明白です。

石川先生はじめ昭島教会のこれまでの歩みを熟知しておられる方々から教えていただいたのは、わたしたちは「平和聖日」をたいへん重んじる教会として歩んできたということです。この日に特別講師をお招きして講演会を行っていたこともあります。週報の「今週の祈り」の中に「世界の平和と核兵器廃絶のために。飢餓と騒乱に苦しむ人々のために」という祈りを今日に至るまで毎週記載してきたのもその一環であるということです。

私のことが皆さんにどう見えているかは分かりません。表立った平和運動のようなことは全くしていません。しかし、「平和聖日」を重んじることや「平和の祈り」を献げ続けることには一切異存がありません。偶然ですが、昨年から非常勤講師として聖書を教えている神奈川県茅ヶ崎市のアレセイア湘南中学校高等学校、そして今年度から小学校でも教えるようになった学校法人の名称が「平和学園」であることを、私はたいへん誇りに思っています。

あるいは、ふだんからいつもそういうことをしていないのが心苦しいですが、8年前の2013年の特定秘密保護法や、その2年後の2015年の安保関連法案に反対する大規模な国会前デモには、私も行きました。特定のグループに属していないのでひとりで行って黙って立っていただけですが、何もしないでいるわけに行かないという気持ちで参加しました。私がそういう人間であることをご記憶いただく機会になればと思い、このことを証しします。

平和の教えとその祈りがキリスト教からだけ出てきたものである、などと申し上げるつもりはありません。しかし、キリスト教からも出てきたものであり、キリスト教信仰の根幹にかかわるものであることは明白です。

「ちょっと待て」と言われるかもしれません。キリスト教国と呼ばれる国こそ歴史の中の多くの戦争の当事者だったし、今もそうではないかと。そのことを知らずにいるわけではありません。しかし、すべてを知り尽くす力は私にはありませんが、まさにキリスト教国と呼ばれる国の教会の中にはいつも必ず戦争に反対し、平和を教え、平和を祈り続ける小さなグループがあり続けてきたように思います。

そういう人たちは、政治の中でも宗教の中でも少数派になりがちです。公然と反対運動などしようものなら、たちまち弾圧されて消されてしまう。その中を堪えて、隠れて、抵抗して、平和を求めた人々がいたからこそ、今日の教会まで平和の教えと祈りが受け継がれてきたのだと思います。もっと論証的に具体例を挙げて話せるようになりたいですが、勉強不足をお詫びします。かろうじて私にできるのは、聖書の中で「平和」の意味は何かを調べて話すことくらいです。

今日の聖書箇所も、いつもと同じように日本キリスト教団の聖書日課『日毎の糧』に基づいて選びました。この箇所の31節に「平和」という言葉が出てきます。「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」(31節)。

この意味での「平和」が、あくまでも教会の内部の安定を指していることは明らかです。社会全体の中で実現されるべき「平和」の範囲まで達していません。しかし、とにかく「平和」という言葉がここにはっきり出てきます。

そして特に大事な点は、たとえ教会の内部だけであれ、とにかく「平和」が保たれたからこそ、基礎が固まって発展したのだと記されていることです。この意味での「平和」の対義語は「戦争」というより「対立」や「分裂」でしょう。教会の内部に対立や分裂があるかぎり、基礎が固まって発展することはないということでしょう。

対立している各グループは一時的に人数が増えるかもしれません。しかし中身を見ると、一方のグループから他方へ移動したにすぎず、全体の数は変わらなかったりします。内部分裂を繰り返しているうちに、みんな疲れ果ててしまいます。いつまで経っても教会の基礎が固まりません。

今日の箇所には背景と文脈が分かるように記されています。それは使徒パウロが「サウル」と名乗っていた頃のことです。しかも、その「サウロ」がキリスト教へ入信したばかりのころです。

「サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だと信じないで恐れた」(26節)とあるのは当然です。9章の初めの言葉が「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった」(1~2節)です。

そこから急激な変化が起こり、その同じ人が、今度はキリスト教会の仲間に加わりたいと申し出てきたというのです。そうは問屋が卸さないと誰しも感じたでしょう。

しかし、バルナバの仲介を得て、パウロはエルサレム教会の信頼を獲得し、さらにユダヤ教団からパウロが追われていることを知った人々が逃亡を支援しました。このときからパウロの生涯3回に及ぶ世界宣教旅行が開始されました。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じました。

エルサレム教会の人々は、なぜパウロを信頼できたのでしょうか。今日の箇所に詳しい説明はありません。しかし、そうであるとしか言いようがありません。彼らはパウロのすべてを赦したのです。憎しみも恨みもすべて乗り越えてパウロを愛したのです。「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)と教えたイエス・キリストの言葉を本気で信じ、実践したのです。そこに十字架の愛があり、平和が実現する基礎があると信じたのです。

教会だけに当てはまることだと私は思いません。順序としては教会内部の平和を実現することが先決かもしれません。それができたならば、世界の平和を実現する道筋があることを示すことができるでしょう。そこに十字架の愛と赦しが必要であることを証しすることができるでしょう。

(2021年8月1日 平和聖日礼拝)

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